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2020/05/30

西武園ゆうえんち-12 池原事務所での仕事

3期計画の夏に「波のあるプール「」も完成しました。

あまり知られていませんが1974年竣工した大磯ロングビーチの「波のあるプール」.は池原先生が設計をされました。
現場にベニヤを並べてチョークでベンチの波形を描いていったそうです。
研究室に張ってある大磯ロングビーチのポスターをみながら「台風でベニヤが飛ばされ2度も現寸図を描いたよ。」と
よく話されていました。
ここでもベニヤを並べて現寸でベンチを描いていきました。


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更衣室のトップライトに所員が作成したモビールを吊り下げました。
私が作った試作品を研究室天井のスプリンクラーヘッドに括り付けていたところ
先生が授業から戻り、見上げるなり「スプリンクラーが作動すると東京都の水がめが無くなるまで出っ放しになるぞ」と
大変なカミナリが落ちました。

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遊園地のサイン計画もすべて現寸で描き、色は大日本印刷ディックの色見本帳から選んでいきました。

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2020/05/28

西武園ゆうえんち-11 池原事務所での仕事

流れる川の街の各建物はそれぞれで飲食ができる施設です。

小さな子供から若いカップル、高齢者自らも楽しめる遊園地にしようと提案しました。
私たちも、一杯やりながら夜景を楽しむことができました。

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遊園地地図

2期計画の観覧車を花火に見たて、クリスタルの屋根で覆われたメリーゴーランド。
その中で万華鏡のようにメリーゴーランドが回る幻想的な世界を演出しようとしました。

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2020/05/27

西武園ゆうえんち-10 池原事務所での仕事

4期工事の中でメインになるのがメリーゴーランドでした。
西武が保有するメリーゴーランドは豊島園に有名な「エルドラド」がありました。
古典調のスタイルで文化財に匹敵する貴重な遊戯物です。
それで西武園遊園地では現代的で幻想的なスタイルにしようと提案しました。

このメリーゴーランドには後日談があります。
完成して数年後、東京ディズニーランドを運営する会社から「東京ディズニーランドで西武園遊園地のメリーゴーランドの意匠を無料で使いたい。」と電話がありました。
先生の著作権もあり当然お断りしました。

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何といっても難しかったのがメリーゴーランドの屋根です。

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それぞれの梁のラインはらせん状に頂点に上昇していきますが展開すると一本の直線になります。
これを図面化するのがまず大変でした。
三次元のらせん曲線を二次元に展開していくわけです。
若いスタッフが先生に何度も厳しい指導を受けながら設計図を書き直していきました。
(池原先生は図学に大変詳しく知識も豊富でした。ノートにびっしりと曲線や立体の解説されたものを遺品として拝見しました。)
屋根のらせん状の梁に取り付けられたのは透明なポリカーボネート板です。施工図や施工も大変でした。
鉄骨工事は結局、造船会社しか引き受け手がありませんでした。
紙細工のように梁プレートに切り込みを入れ落とし込んで立体にする工法です。
構造はシェル構造を得意とされた早稲田の田中先生にお願いしました。

またメリーゴーランドの馬の人形は既成の輸入品ですが、センターの回転タワーや馬車型の乗り物は研究室の設計です。



センターの回転軸は平面のミラーで構成し万華鏡の効果を狙いました。

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2020/05/25

西武園ゆうえんち-9 池原事務所での仕事

池原先生は「遊園地設計はバーチャルで実態が無く、ただ形だけなところがおもしろい。」とますます精力をそそがれるようになりました。
御自身も、「僕はよく変わったと言われるるんですが、そのきっかけは遊園地の設計だと思います」と対談で話されています。

窓をショウウインドウにして中に飾る物もデパートなど実物を選び、調達してもらいました。

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デパートで調達した西洋の焼き物人形を要所要所に設置しました。
アクセントとしての飾りであり、それを太陽とともに動く影絵として壁に投影することも演出しています。

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4期の竣工後、メリーゴーランドの試運転を見学している先生や西武関係者。
我々は周りを緊張して囲んで見守っていますが、
お施主さんやお客さんに喜んでいただけるのが一番うれしく感じ、苦労が報われます。

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2020/05/24

西武園ゆうえんち-8 池原事務所での仕事

1985年の4期は大規模計画となりました。

1980年代半ばになると仕事量も増え、徐々に個人助手(後に会社所員)も増えていきました。
遊園地のデザインの方針がほぼ決まりつつありましたので、基本設計で大まかなことを先生に承認していただき、実施設計は若いスタッフが引き継いでいくことにしました。
先生はデザインの妥協がありませんので、工期が厳しくなるとスタッフ全員で応援する体制でした。

下は基本設計で作成した4期計画の模型の一部分。

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施工途中、コンクリート躯体が建ち上がりましたが遊園地で重要な外装、内装のデザインの詳細がなかなか決まらず大変な状況になりました。
現場監理段階でも意匠設計は本当にぎりぎりまでねばり、検討、変更があるのががあたりまえの世界の研究室、事務所でした。(早稲田大学の研究室から設計事務所で設計活動を移行した時期です。)
施工段階で詳細図作成、青図の上に色彩計画をどんどん描いていきました。

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メリーゴーランドを囲むテイクアクトの売店です。
これは後の早稲田大学所沢キャンパスの学生食堂のデザインに一部抑制された形で引き継がれました。
遊園地を設計することで建築はストイックなものだけでなく楽しい要素があっても良いのでは認識するようになりました。

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2020/05/23

西武園ゆうえんち-7 池原事務所での仕事

遊戯施設コーヒーカップの操作室です。
パイプのフレームをアクリル板で囲っています。
屋根に[てり](反った屋根の反りのことです。建築用語ですみません。)
をつけ中に日よけテントを張っています。
近代建築の精神からすると装飾は悪だと教育されてきましたが、ここでは許されると割り切りました。

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コーヒーカップのテーブル中央の照明器具。
アクリルケースにミラーボールと小さな人形を入れてます。
夜はこれに周辺の斜面から投光しカップの回転に合わせて光の点が周囲の斜面を巡ります。

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研究室での遊園地のデザインは夜の照明計画を特に重視しました。
おいしいお酒が飲める場所をたくさん作ろうと。

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2020/05/22

西武園ゆうえんち-6 池原事務所での仕事

1983年の3期めは遊戯施設、コーヒーカップでした。

日本で作る遊戯施設なのでカップのデザインから操作室、照明器具などすべて一から設計を任されました。
3期目あたりから自ら楽しみながら自由に遊園地デザインができるようになったと思います。
もちろん厳しい制約の中でですが。

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遊園地初期の施設がちょうど小さな円形劇場のように残っていました。
この周辺の環境を生かして花に包まれたきれいなコーヒーカップを置くことを提案しました。

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このコーヒーカップの図面を描いていると先生がそんな姿のコーヒーカップはないだろうと却下されましたが、翌日「自宅にそっくりな高級コーヒー(紅茶)カップがあった。」と図面の承認をしていただきました。
偶然、似た姿の高級カップがあり助かりましたが、私は貧乏育ちで高級品にはまったく縁がありませんでした。
遊園地という憧れをテーマするからには自分の生活の範囲だけでは無理でもっと勉強が必要だと痛感しました。

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2020/05/21

西武園ゆうえんち-5 池原事務所での仕事

遊園地のどこからでも見える場所に観覧車があります。
当初、観覧車の52のゴンドラは虹をイメージして赤から紫まですべて色を変えていきました。
現在は長年の間に4色に替わってしまいました。
観覧車の照明は中心から放射状になっている線材を照らし夜空に打ち上げた花火をイメージしました。

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遊園地地図


観覧車の当初の色彩計画です。

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池原先生も中央ゲート完成後から盛んにスケッチをされるようになりました。
遊園地の散策路に配置した「スターゲーザー」 (星を集める男)のオブジェのためにたくさんのスケッチを残されました。
ハゼに似たスターゲーザーという魚と星を集めている男が鉄のフレームにいます。

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2020/05/20

西武園ゆうえんち-4 池原事務所での仕事

遊園地でデザインした照明器具作成は小さな個人でやっているような会社でした。
金属パイプの絞りや曲げ加工などの職人のつながりを持っていて要求によく答えていただきました。

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猫人形はセンサーで振り向き、手をあげて声を出して挨拶しますが、メンテナンス不良のため動かなくなってしまいました。

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大竹ステンドグラスにお願いした窓を取り付けました。
眠ている子供に天使が楽しい夢を与える童話をテーマにしています。

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チケット売り場の屋根に風見鶏のオブジェを取り付け、クレヨンで色付けしました。

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2020/05/18

西武園ゆうえんち-3 池原事務所での仕事

中央ゲートのフレーム下のキャノピー(庇)がチケットもぎりです。
ボックスの中の猫の動く人形が声を出して挨拶をします。
右手の切妻屋根のボックスはチケット売り場です。
この妻面の三つの窓にシャガールの『夢』を参考にしたペンキ絵を描いてもらいました。

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ゲートに風車、ステンドグラス、時計、鐘、天使のオブジェなどを設置しました。

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ゲートのフレームに研究室のスタッフでパステルやクレヨンで色を付けましたが、現在はすべて白一色になってしまいました。

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手間のかかる鉄骨工事はたいていは小さな工場でした。
現寸場も土間コンにチョークで描いて確認を取っていきました。
曲線は薄板の定規を曲げて描いていきます。
池原先生の連続する曲線はすべてそのようにして描いていくのでどうしても現寸図が必要なのです。

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2020/05/17

西武園ゆうえんち-2 池原事務所での仕事

中央ゲートの設計で西武園遊園地のデザインの方向性がついたと思います。

いろいろな童話の世界や小説ドン・キホーテなどをテーマにして線材の構成でデザインしました。そこに要所要所にディテールを入れて思いを込めることで子供だけでなく、大人の目にも新しく楽しい遊園地ができると考えました。

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従来の遊園園地、テーマパークは西洋に対する憧れから大道具的な偽物を造ってきたように思います。
本物をいくら真似ようとしてもコスト、時間がかかり遊園地施設としては無理があります。
西武園遊園地デザインでは誰もが持っている憧れにアプローチの方法を変えていきました。
先生は憧れを抽象化しシンプルなものに昇華していけば、建築家の仕事として行けそうだと徐々に考えを変えて行かれました。
後の内井昭蔵先生との対談で「後になって考えてみると、いやだと思うのがおかしかった。といつも思いますね。」と話しておられました。

下の写真は提案用のピアノ線で作った縮尺1/100の模型写真。
ペンチで曲げて作りましたが本当に硬くてたいへんでした。

中央ゲート竣工後、池原先生がゲート横の植栽のなから夜空にまっすぐ光線を伸ばしたいして実験を重ねました。
最後はドラム缶ほどのサーチライトで試しましたがうまくいきません。
霧や塵など光を反射するものが多くないと光線が見えないのです。
この試みは後の軽井沢ボーリング計画で実現しました。

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2020/05/16

西武園ゆうえんち-1 池原事務所での仕事

西武球場が1979年3月に完成。
池原研究室に西武園遊園地改修の相談がありました。

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西武園遊園地は1950年に開園し、西武球場に隣接したユネスコ村と連携した施設でした。
敷地は池を中心にしウォーターシュート、ジェットコースターなどの施設がありました。
それを毎年改修し、全体をリニューアルする方針でした。

最初、池原先生は遊園地の仕事に相当抵抗があったようです。
建築家が手を出すものではないとして、図面を描いていると露骨に嫌な顔をされました。
建築家として何が提案できるか難問の仕事を引き受けたのです。
当時、日本の遊園地は洋風の偽物建築で満ち、大人が楽しめるデザインではなかったと思います。
ところが先生と訪れたデンマークのチボリ公園は大人も楽しめる遊園地でした。
そこで西武園遊園地を大人も十分楽しめるものにしようとしました。

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第一期は『バイキング』という船の形をした巨大なブランコの絶叫型遊戯物を1台だけ導入する計画でした。
スイス製で意匠は既存のままで操作室や設置する周辺の設計を任されました。
操作室はキャビンをイメージしましたがデザインの余地がなく困りました。
それをどんなところに設置するのか既存の遊園地には参考になるものがありませんでした。
そんな時、二色のピンコロ石で舗装されたロシオ広場(リスボン)の写真が目に留まりました。
そこで海をイメージしたパターン塗装の広場に『バイキング』が浮かぶよう提案すると先生も徐々に興味を持たれるようになりました。
結局この案は実現できませんでしたが、つぎの遊園地計画につながる手掛かりになりました。

関係者で試運転をしました。

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2020/05/13

西武球場(現 西武ドーム)-6 池原事務所での仕事

1999年に日本で5番目のドーム球場となりました。
大手5社+三菱重工のコスト提案を含めたプロポーザル方式で鹿島建設案が採用されました。
池原事務所は監修とし参加しました。

半屋外空間で自然採光、自然通風など維持管理費を抑えた合理的なドーム球場です。
既存スロープの外周通路に支柱を配置し曲面ドームが丘陵の森に傾き沈み込む景観になっています。

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下の写真は、研究室の学生の協力で作った畳一畳ほどの大きさのプレゼンテーション用の西武球場の粘土模型です。
将来とも屋根は架けない球場とし、きれいな曲線が生まれるように設計しています。
まさかこれに屋根が架かるとは思ってもいませんでした。

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プロポーザルで提出された6案です。一番上が採用された鹿島案。
野球開催をしながらの2年越しの工事でした。

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各社とも苦労が偲ばれる提案でしたが、三菱重工は2枚だったので驚きました。

大林案、三菱重工案は開閉式の提案でした。
清水案は現地の実測までした詳細設計で各社の社風が表れているように思いました。

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2020/05/12

西武球場(現 西武ドーム)-5 池原事務所での仕事

池原先生の特別応接室の断面スケッチです。
研究室ではよくごみ箱から拾い上げた廃紙にスケッチされていました。


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先生は総合芸術としての建築に芸術家に加わっていただくようにしておられました。
特別応接室には多摩美の竹内成志先生に「勝利を象徴するオリーブをテーマにしたタピストリー」をお願いしました。

竹内先生のタピストリー作成図です。

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特別応接室は清原選手の記者インタビューなどに利用されていました。
家具は渡辺力先生です。

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2020/05/11

西武球場(現 西武ドーム)-4 池原事務所での仕事 

池原先生のセンタービルの立面のスケッチです。
こちらで提案した原案を何度も何度もスケッチ修正していく方法でした。

この当時は構造体、照明塔、階段などを製作する鉄骨工場には体育館ほどの場があり、専門職人が意匠図から現寸図を起こしていました。それでよく先生と工場に行って確認、修正を行いました。
当時、承認後には必ず鉄骨施工者が宴会の席を設けられるようなこともあり驚きました。
一つの仕事を終えたという達成感と安ど感を共有できる場になっていました。
パソコンが普及し鉄骨工事の現寸図がシートで事務所に送られるようになり、残念ですがこの習慣はなくなったようです。

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センタービルの屋上にテレビ中継のカメラが設置されるとは思いませんでした。

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芝生の緑をイメージした絨毯のバックネット裏専用レストランです。
スタンドの椅子もグリーン色の輸入椅子としました。

屋外舗装のグリーン塗料色を決めるときは困難を極めました。
塗装面積が大きくなると彩度が上がるのと、周辺環境の色が大きく反映されてしまうからです。
さらに塗装面が平滑で光沢が出てイメージした色になかなかならないのです。
球場駅前広場では舗装の塗装工事を途中で中止することになり、施工者にも大きな迷惑を掛けてしまいました。

A4サイズのサンプルをたくさん作ってもらい、その中からさらに選んで徐々に大きなサンプルにしてもらい、最終的に実際塗装する面に塗って決めた色を塗り始めたのですが「イメージと違う。」との先生の容赦のない一言でやり直しになりました。
実際、色は同じなのですが塗装面の素材と面積で見え方が大きく変わると、身に染みて勉強しました。
最終的には、もとのグリーン色に少しの黒と赤の顔料を混ぜることでなんとか解決できましたがとても大変でした。
以後この色が西武園遊園地の舗装塗料色に引き継がれました。

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今ではこのような曲線を持つ階段をつくる鉄骨工場も少なくなったようです。

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2020/05/10

西武球場(現 西武ドーム)-3  池原事務所での仕事 

工期、予算、設計スタッフ、経験、技術力がどれも厳しい現場でしたが貴重な経験をしょっぱなからさせていただきました。
時間をかけて建築に情熱を注ぐことをされてきた池原先生にとってこの現場はストレスがたいへんなものだったと思います。
工事が佳境に入ると現場小屋の設計室に池原研究室から私一人が常駐になり、先生の設計姿勢をよく知らない施工会社スタッフに囲まれてもう大変でした。
工事をしながらの設計で身に覚えのないことも含めずいぶん怒られました。
先生が怒ることができるのは私一人しかいないから仕方ありません。

特別応接室の家具設計を依頼された渡辺力先生との打ち合わせでは、生意気なことを主張したらしく先生から机の下で足を蹴られたこともありました。

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西武球場は土木工事が中心でしたが建築工事の中心はバックネット裏のセンタービルでした。
この施設に選手のロッカー室、管理事務所、報道関係室、レストラン、特別応接室などがあります。
スタンドの柔らかい平面に対応したデザインとするために、今日の現場では見かけない現寸場や駐車場でベニヤにどんどん描いていきました。
最後のころは現場も悲鳴をあげ、結局、曲面面木や定礎などは研究室の学生の手で作成しました。

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竣工当時の西武球場

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地下選手ロッカー室は地下中庭に面しています。
中央の円形腰壁部分でチケット受付嬢が迎え、バックネット裏の観客席はここから入ります。
観客はここで選手の入退場を上から見ることもできます。

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2020/05/08

西武球場(現 西武ドーム)-2  池原事務所での仕事 

西武球場は1977年に竣工しました。

西武球場の特徴は何といっても球場を観客主体にした劇場空間にしたことです。
当時のプロ野球場はバックネットを北側に配置し、野手がフライ捕球時に太陽光線に入らないようされていました。全般に観客より選手優先で球場が作られていました。
西武球場はバックネットを南側に配し、これまでの球場とは違った考え方で進めました。

20200508西武球場-1

スタンドは元の地形を利用して掘り下げ式(土間コンクリート)。観客は外周通路から球場全体を見渡しながら開放的に解りやすく自分の席に行ける動線にしました。バックネット裏はV字型の4人席でレスランから飲食サービスも受けられる社交場としました。

西武の勝試合では、選手はグランドから直接バックネット裏席中央を通って退場でき観客と握手できます。負け試合はその通路下に地下階段があります。
ダックアウトは当初屋根を透明にして観客から選手の様子がよく見えるようしていましたが球団側からの要望で不透明になりました。
ブルペンも内野ファールゾーンに配置しブルペン捕手がリリーフの投球を受ける、迫力ある捕球音を内野席で間近に聞くことができます。池原先生の師、今井兼次先生設計の旧ユネスコ村の施設や丘陵の緑や桜がバックスクリーンの背景となり自然環境に溶け込んだ球場となりました。

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バックスクリーンを上げた状態では球場前駅広場と一体となり観客を迎えます。イベント時にはここから入場パレードができます。バックスクリーン(幕)が下りて試合開始となります。

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バックスクリーンを閉めた場合

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2020/05/06

西武球場(現 西武ドーム)-1 池原事務所での仕事 

池原義郎・建築設計事務所での仕事を紹介します。

西武球場が私が早稲田大学建築学科池原研究室の個人助手として最初に担当した仕事でした。

厳しい設計と工期の中で社会人野球場としてオープンする計画を進めていましたが、建設途中で西武ライオンズの球場となり工期が縮まりさらに厳しくなりました。
先生と実務を知らない私の二人と西武建設が共同してできた球場でした。堤オーナーと池原先生の打ち合わせに同席させていただき、多くのことを学びました。

現在、西武ドームと呼ばれていますが、初めはドーム球場ではありませんでした。

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西武球場(現 西武ドーム)は所沢市にあります。
池原先生は所沢のでいくつかの仕事をしており、西武遊園地の周辺をわたしたちは『西武園地区』と呼んでいました。
西武球場もそこにあります。(トトロの森の一部です。)

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狭山湖、多摩湖を中心とした緑のゾーンです。

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